☆リクルート社のグローバル採用のお手伝い(中国東北地方編)

5月18日(火)〜20日(木)迄、リクルート社のグループ人事部エグゼクティブマネージャーのI氏と、同じく人事部の若手/Hさんと一緒にリクルート社の2011年度グローバル採用に向けて、ナレッジ&ワークスの提携先大学である、中国東北大学・大連理工大学・大連外国語学院にて、同社の説明会を実施して来ました。
(↓“青年よ、大志を抱け!…”とは言わなかった毛沢東同志の肖像…大連理工大学にて・・30m余あります)

リクルート社では、本格的なグローバル展開を加速する為、日本国内での留学生採用(弊社もお手伝いしております)は勿論の事、中国(北京地区)でも優秀な現地大学生の採用をスタートさせています。北京では「日本語」に縛られない「能力採用」を実施しているそうですが、今回は「日本語でのコミュニケーション能力」をも加味したサーチとして、中国の東北地方(遼寧省)を選んで頂きました。
(↓右より、人事部長のI氏、人事のホープH嬢、ナレッジ&ワークス/周而立老師)

初日は、東北大学日本語学院+軟件学院の生徒が30名近く、参加をしました。
(↓日本での説明会と同じツールを使い、同じ内容の日本語でプレゼンです)


中国には、あまりないビジネスを展開しているリクルート社、、その社会的使命(ミッション)やビジョン、具体的に提供している商品やサービスとユーザー数の多さに、皆ビックリしている様子でした。そして“質問タイム”となると流暢な日本語を駆使して感想や希望を述べる学生や、知っている日本語で一生懸命伝えようとする学生(顔を赤くしながら身振り手振りで伝えるのが可愛い、、)、同じ質問を繰り返してしまい、皆に笑われてしまうウッカリ屋、、熱のこもった第1回説明会が、終わりました(終わってからもリクルート社人事のお二方に、具体的な募集人員や選考会の内容を聞く学生や、先輩中国人社員の仕事内容を尋ねる学生達で、なかなか開放させては貰えませんでした★★★)。
翌日は、早起きをして瀋陽北駅より、旧満州鉄道の特快に乗って大連駅へ!

(↑大連瑞士酒店の部屋から、大連駅を望みます 旧省線上野駅と同じ日本人設計者が担当した美しい駅舎です)
常宿先の大連瑞士酒店にチェックインし、直ぐに旅順にある大連外国語学院新校舎へ向います。旅順には大連市内からクルマで1時間余で到着。
(↓大連外国語学院とナレッジ&ワークスは、古いお付合いです、宮老師を始め大連市内延安路の旧校舎時代から、何度もグローバル採用の説明会を実施させて頂きました)

中国の北部・東北地方でナンバーワンの語学教育を誇る大学でもあり、日本語学院の生徒達も、Hさんのリクルート社の説明をパーフェクトに理解しています。


そして夕方に大連市内に戻り、大連理工大学で最後の説明会を実施しました。

参加者は一番盛況で、50名近い学生が明日の体育祭の準備に追われる中、参加してくれました。大連理工大学では、日本語学院に限らず1年生から日本語を学んでいる理工系学生(軟件学院、工程学院他)も数多く、大連へ進出している日系企業はもとより日本企業の説明会には慣れている(!?)学生も居て、ある意味でフランクな説明会となりました(一方、種々雑多な質問に懇切丁寧な受答えをしてくれた、Hさんには感謝!!
(↓明日からの学内体育祭向けて、あちらこちらで団体競技の練習の掛け声が聞こえました、、本セミナー参加者達も老師から、明日の体育会の練習の件で“喝!”を入れられていました!)

 過日、日本経済新聞社が外国人社員を導入(=招聘)している企業100社の従業員に、『自社の外国人社員と一緒に仕事をする際、ポイントになる事は何ですか!?』
と質問(調査)をしたところ、90%近い日本人従業員の要望が、“日本語でのコミュニケーションスキル”であり、“日本の文化・商慣習への理解”→“日本の企業や組織運営への理解”が続いたそうです。。
先日の私(堤英俊)のブログにも記しましたが、最近では自社のグローバル化推進の為に、社内の公用語を“英語”にして行く計画を打ち出したり、「グローバル採用」の為には、国籍や使用言語は関係なく、純粋に「知力・スキル」と「期待出来る成果」をベースとした『能力採用』を掲げてる企業(=経営者)が増加中だそうです・・・

『・・いやいや、優秀な人財なら来日してから直ぐに日本語も覚えるよ!・・』と確信したように話す、経営者や人事の方ともお会いして来ましたが、実は事は決してそんな、簡単には進まないように思えます・・。。・・

貴社の現場で、外国人社員の受け入れを本気で議論した事はありますか!?
迎える外国人社員の母国の文化・慣習、宗教を知っていますか!?
貴社の現場の社員は、せめてビジネスレベルの英語を理解できますか!?
貴社の今後のグローバル戦略上、日本の市場はどういう位置付けですか!?
貴社は、本社を海外に移す事に抵抗は有りませんか!?
そして、
採用した外国人社員の、生活インフラの整備は出来ていますか!?
採用した外国人社員が、買い物や鉄道・バスの乗り換えで言葉の不自由を感じている事を知っていますか!?
言葉の不自由、意思疎通のストレスから、“心の病”に冒されている外国人社員が居る事を知っていますか!? 発揮すべき能力が発揮出来ない“もどかしさ”から、来日した目的を失いつつある外国人社員が居る事を知っていますか!?

グローバル化の為に、国籍や民族に関係ない、登用を実施していますか!?

多くの留学生や外国人ビジネスマンと日々接し、個人的には「言葉によるコミュニケーション」の大切さを、むしろ日増しに感じています。。

★夏祭りの新橋、ナレッジ&ワークスも初参加

晴天の続いた黄金週の最終日、ナレッジ&ワークスのオフィスに近い新橋の烏森神社では、夏祭り(例大祭)が始まりました。

夜な夜な烏森神社界隈を徘徊する、ナレッジ&ワークスのメンバーの健康と商売繁盛を祈念して、今年は初めて寄付を!★★★
銀座、赤坂、六本木の街並みは目まぐるしく変わり、お店も新陳代謝が激しいですが、ここ新橋(15町会)は10年前より街の顔もお店の顔触れもほとんど変わらない、、そう!「変わらない」事の良さや安らぎを与えてくれる街です。

因みに物の本によると、烏森神社の由緒は古く、平安時代にムカデ退治で知られた“俵 藤太(=藤原秀郷)”が平将門の乱を鎮める為、武州・埼玉の稲荷に戦勝祈願したところ、白い狐がやって来て“白羽の矢”を与え、その矢を持って戦を勝利に導いたそうな…その御礼に神社を寄進しようとした夜、夢に白い狐が現れ『烏の群がるところに神社を建てよ、、』とのお告げが有り、桜田(現:芝神明、新橋界隈)の森に烏が群がる地を見つけ、社殿を建てたのが始まりとか・・・
(↓御神輿の四隅に、烏がとまっているのが烏森宮だし神輿の特徴です)

(↓ムカデの半纏も登場します 蒸気機関車広場から、町内を練り回ります)

ニュー新橋ビルを貴方は知っているか!?おやぢの原宿(=新橋)のセントラルアパート的な聖地★★★小さな入り口の呑み屋や定食屋、怪しいマッサージ(!?)や中国・タイの足マッサージ、洋品店に安売りのチケット屋・・・etc
昼も夜も、財布の中身を気にしながら一杯呑まなければならないサラリーマンや悠々自適のご隠居まで、多様な“おやぢ”を呑み込むビルヂングは、終戦直後 新橋西口の闇市(通称:カッパの松の庭場)の時代を彷彿させる(…らしい、、)まさに「変わらない」事の安心感を与えてくれるオアシスです。
(↓ニュー新橋ビルと、土曜日の新橋名物 路上将棋大会!商品は洗剤やタオル)

リクルート社勤務時代から、延べ15年間はご当地新橋で仕事をしており、筆者に取っては横丁の町内と同じ感覚ですが、唯一の難点はオフィスを出てから(帰宅)新橋の駅まで“関所”が多く、朝なら駅から10分で到着するオフィスですが、帰りは3〜4時間かかっても、新橋駅に到着出来ない事。。。・・・
う〜ん、、、新橋・・・奥が深いぞ! 新橋

☆黄金週、房総半島ツーリング(館山〜白浜 包丁塚)

黄金週二日目、天気は晴れ起床6:00

鯵の干物(小ぶりだけど脂が乗っていました!)、出し巻き玉子とウィンナー、蒲鉾に海苔、タップリの野菜に白米とアサリの味噌汁、、定番の朝食を食べた後、バイクに跨り那古船形港の朝市に向います。那古船形には、手ばねの釣竿で鯛を釣る“しゃくり釣り”に熱中し、よく通いました。型の良い真鯛は勿論の事、イナダや大イサギ、そこ物ではヒラメやマゴチも釣れ、コストパフォーマンスの高い釣果を楽しめます。船形漁港は、内房近海の鯖・鯵・鰹を始めカワハギやカマスが揚がり、外道も多種多様な魚や貝が豊富な市場です。 筆者はよく築地市場(場内)へ出掛けますが、築地の喧騒や熱気と違い、日々の地産地消分だけをのんびりと商う温かさが心地よい市場です。
(↓中央に黒い“的”があるのが“マトウ鯛”、その下に“ホウボウ”の頭、“アイゴ”、黄色い“ウツボ”も

(↓大漁の鯖!!まだ脂は乗っていませんが味噌煮には丁度良いサイズ)

(↓ 大きな“マンボウ”が揚がっていました、 競りにはかけず 当然のように漁師の胃袋に収まります信じられないほど美味な外道だそうです★★★

(↓内房の鯵は地着き小ぶりですが、脂が乗っています 鰹も揚がっていましたが、これは湾外からの釣果でしょう、、)

(↓カワハギと活けのヒラメも揚がっていました ふぐが終わり、カワハギとヒラメの薄作りがポン酢に合います)

午前7:30、館山着
流石に館山は、遠洋・近海の漁業、レジャー、海上自衛隊の基地。大型の船が係留された波止は、朝まづめから釣り糸を垂らしている釣り人でいっぱいです。

(↓館山の沖ノ島は、砂浜で岸と繋がっており、歩いて渡れます  ところで、このルアーしている女性は誰!??)

県道を洲崎〜平砂浦の直線を一気に走り抜け、毎回イサギ釣りでは大型+大漁を約束してくれる布良港を経て、白浜へ
(↓根本海岸でバイクの走行距離メーターが、“9並び”となりました 昨日は“8”に縁があり今日は“9”!?)

そして、房総半島最南端の町=白浜町に到着
白浜には毎年のように訪れており、磯遊び(鬼の洗濯板)、海水浴(砂浜は狭い…)、乙浜からの釣り船(オデコ無し必ず釣れます)野島港からの海底透視船(海草/ヒジキに隠れて、色取りどりの魚が)そして何と言っても、地元の海女さんが海底から獲って来る、鮑やサザエ、尻高、伊勢海老が名物です★★★

(↓波の浸食作用で“鬼の洗濯板”があちらこちらに広がります 澄んだ海の底には、蟹や尻高が!)


(↓“白浜”と言えば、“海女”,,, 岩場には海女さんが採った魚介類を一時保管する水槽が切られています)

(↓野島崎で見つけた、“ハンバーガー岩”    ↓白浜にはアロエが自生・密生しています)

その後、千倉に向ってフラワーラインを走り高家神社(たかべじんじゃ)へ向います。高家神社は日本唯一の「料理の神様」をまつる神社として、調理人・飲食業関係者、醸造業者(味噌・醤油)等から信仰を集め、毎年10月17日と11月23日には「包丁式」がとり行われます。
(↓日本料理の始祖、磐鹿六雁命/高倍神 を祀る由緒正しい神社であり、安房の浮島の砂浜で釣った鰹と蛤で料理を創り、景行天皇に献上したのが始まりとか.....)

(↓浮島浜は、小さな漁港に姿を変えていますが、太公望の姿は今も変わりません)

(↓漫画の“包丁人・味平”や“将太の寿司”にも登場する包丁式は、平安時代から続く宮中行事とか...古式四条流の料理手法に則り、包丁とまな箸のみを用いて一切手を触れずに鯉・真鯛・マナガツオ等を調理します)

(↓包丁塚! 誰でも知っている著名な料理人や飲食店経営者の奉納書が沢山ありました)

いずれは、小さな“漁師料理の店”を始めたい筆者も、真剣にお参りをして帰路に着きました。
帰りには久留里城と上総掘りで有名な、久留里の名水処を尋ねながらノンビリと千葉市へ向いました(電池切れで写真を撮る事が出来なかった事を悔やみます。・。・。・)。この二日間は、結果的に南房の歴史を訪ねる旅でしたが、今年の秋口には水郷方面を走って見たいと思います。(お付合い頂き、ありがとうございました)

★黄金週、房総半島ツーリング(勝浦〜富浦/里見八犬伝)

黄金週★★★★★
家族(除:筆者/堤英俊)が関西へ旅行に出掛けてしまった為、一人バイクに跨り房総半島一周のツーリングに出発しました。
(↓真里谷武田氏築城と言われる、勝浦城址/下の写真の鳥居/から、勝浦港鵜原を望む)


いつものコース誉田から市原の野山や峠道をのんびり走り、本納から白子町へ抜けR128を上総一宮・大原、そして“月の砂漠”でお馴染みの御宿で先ずは休憩。。花曇の天気ですが、結構日に焼けそうです。
(↓部原から御宿を返り見る             ↓官軍塚、勝浦灯台から八幡岬・勝浦沖を望む)

 官軍塚は、明治2年正月2日 戊辰の役で北海道函館の五稜郭に立て篭もった榎本武揚(旧幕府海軍総督)を鎮圧する為、肥後熊本藩から海路 函館へ向った350人を乗せた軍船が勝浦沖の難所「関東の鬼ケ島」にて暴風雨に遇い難破!
勝浦・川津の漁民が救助活動にあたりましたが130人の犠牲者を出してしまい、この遭難者を埋葬、供養した塚です。
(↓朝陽が美しいと言われる勝浦灯台        ↓勝浦漁港に揚がった地元名産の金目鯛と初鰹!)

(↓初鰹を釣った地元の小型漁船が、何艘も帰港している最中でした)

日本三大朝市の一つである、勝浦の朝市は11:00に終わってしまった様子なので、港に近い馴染みの地元割烹/中むらで昼の定食(刺身・焼き魚定食)を食べ、再度R128を南へ天津小湊へ。 途中ハンドルを右に切り房総の山中を清澄へ向います。尚、「清澄山(きよすみやま)」と読み「清澄寺(せいちょうじ)」と読む事を今回、知りました。

清澄寺は“堤家”の宗派である“日蓮宗”開祖:日蓮聖人が幼い頃から修行を重ねた地(誕生は安房小湊)であり、法華経こそが最高の経典である事を確信し、立教開宗した地である事はよく知られています。が、元々の開創は天台宗のお寺であり、その後真宗を経て戦後、日蓮宗へ改宗した複雑な歴史もあった様子です。
(↓境内には、国指定天然記念物の千年杉が… そして旭が森から見る朝日は、日本の朝日百選に選ばれています)

(↑右/清澄山は、極真空手創始者大山倍達総裁が山篭りをし、極真空手を興した誕生の地でもあります 現在、記念碑が建立され多くの極真ファンも訪れているとの事です 押忍!)
さて、バイクは清澄山を下り、再度R128を鴨川へ。太海の仁右衛門島を左手に見ながらフラワーロード方面へ入ります。次の寄港地(!?)は、鯨漁で有名な和田町 和田漁港は日本で4箇所しかない、捕鯨基地で有名です。年間26頭の鯨を夏に捕鯨し、名物お土産「鯨のだれ」を始め、鯨料理の料理屋や民宿旅館が種々な鯨の部位を料理する、日本の食文化を誇る町です。
(注:平成18年3月20日に、和田町・丸山町・千倉町・白浜町・富山町・富浦町・三芳村の7町村が合併し、南房総市となりました)
(↓日本の海水浴場100選に入る和田浦海水浴場と、 捕鯨基地/小さな和田港)


和田漁港で釣り人を冷やかした後、南三原(和田中学手前)を右に曲がり、丸山町方面へ向います。のどかな山里を高度を上げて飛ばすのは、本当に気持がいい・・・(何たって対向車も来ないし、歩く人も見かけない田舎道が続きます)ちょっと開けたと思ったら、小さなダムと水を入れたばかりの棚田が広がりました。

(↓いい臭い、、、、が漂ったと思ったら、牛小屋◆◆◆ さすが酪農王国千葉の酪農発祥の地! )

(↓旧和田町の小学校跡を「自然の宿 くすの木」にリニュアル、校庭には大きなくすの木が! ここで水入り・ひと休みしました)


磑森と言う信じられないくらい「田舎」の山道を、美しい花々に迎えられながらバイクで登り、峠の頂上から県道に進路をとり、内房/冨山を目指します。
房総の名山、冨山の中腹には、千葉(安房)では馴染み深い「南総里見八犬伝」の登場人物、里見家の姫=伏姫と神の犬=八房が一緒に暮らしていたとされる「伏姫の籠穴」があります。なぜ架空の物語である八犬伝に“リアル籠穴”が存在するのか!?・・・とても不思議でしたが、何とも言えぬオーラを発している“霊気”を感じる洞穴でした。
(↓伝奇ロマンではありますが、実在の大名里見氏に因む安房の国の“水滸伝”、、ちょっと不思議で勇猛な物語でもあります)


神により懐妊した、伏姫は身の潔白を示すため自害し(神犬/八房の子を宿したと疑われた…)その時に傷口から八つの大玉が飛散し、その後「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」八つの霊玉を持って生まれた八犬士(→犬の字が姓に付く8人の若者)が、関八州に散り、互いに知らず知らず引き合いながら、里見家再興に尽くす物語の始まりの場所です。

ちなみに、筆者はテレビCMのソフトバンクモバイルの白い犬と樋口可南子を見る度に、伏姫の籠穴と里見八犬伝を思い出します。。

伏姫の籠穴を後にし、岩婦温泉伏姫荘で日帰り入浴をさせて貰った後、県道を内房岩井海岸へ向います。
*岩婦温泉は、これはこれで次回、当ブログで紹介したい、なかなか味わい深い湯治場でした

(↓午後5:00に岩井海岸へ到着、 海岸を散策して今宵の宿、富浦の聖山荘を目指します)


聖山荘は、里見家八代 本田長左衛門が起居した岡本城跡に立つ旧家を改築した「田舎の家」です。当主はその末裔で、富浦で自ら獲った魚や自作の野菜をふんだんに使った料理とミネラル人工泉で、静かに歓待してくれます。
(↓山城のような、丘の上に立つ聖山荘・・・道が狭いので車だとちょっと大変、、 田舎の実家風民宿です)

夜は地酒(←南房総の銘酒/寿萬亀/じゅまんがめ/は、口当たり良く、絶品の銘酒です)と地魚の料理に、舌鼓を打ち
あちらこちらを見て回った、今日一日の疲れが心地よく広がり、お酒の酔いと相まって、コテリ★ と寝てしまいました。。。
心身共に充実した一日でした・・・そして何故か「八」の字に縁が深い一日でした。。。
(↓ちなみに、聖山荘での一泊二日、夕・朝食付きは、7、500円程度!!勿論、部屋も小さな6畳程度だし、隣の部屋は位牌と遺影だらけの大きな仏間でしたが、とにかく安い★★★

また来たくなる、宿でした。 明日は館山から白浜を回り、千倉から中房総を走って帰路に着く予定です!

☆春の埼玉“見沼たんぼ”でツーリング

2010年4月17日(土)早朝、、今年は遅めに開花し、長く花を愛でれた桜も葉桜に変わる頃、ビックリ!!
(↓ナレッジ&ワークス/浦和オフィスより望む“冬景色”4月17日朝↓1週間前の浦和オフィス近所の

異常気象の賜物なのでしょうが、関東圏でこんなに遅く雪が積もるのも珍しい(!?)淡いピンクに白い雪が薄っすら混じり、何とも言えぬ“風情”さえかもし出していました。
そんな4月の末、浦和オフィスからは目と鼻の先に広がる、見沼のたんぼへオフロードバイクに跨り、「田舎の春」を満喫しに出掛けました。
(↓見沼代用水と早稲が広がる昔ながらの田園風景、芝川や加田屋川から水を引きます)

見沼たんぼは、東京都心から20〜30km圏内に位置しており、約1260haという広大な面積を持つ、大規模緑地空間です。
川口市から、さいたま市、上尾や春日部まで広がる、田んぼ・畑、雑木林や植木畑、河川や代用水、通船堀、湿地や池が広がり、あまり知られてはいませんが、古代の“古東京湾”の跡と言われています。6,000年前に海が後退し、現在の東京湾に近づいた頃、入江が“やま”として残り、海底が湿地帯として残ったのが、見沼田んぼの歴史の始まりです。
(ちなみに、筆者は大学時代は考古学を専攻しており、かつては旧浦和市の3分の2が海の底にあり、見沼周辺の入江には縄文時代前期の貝塚が数多く発見されている事を学びました)

その後、江戸時代頃に大きく発展し独自の文化や伝説もあるそうです。筆者はリクルート社に勤務していた頃から、社用車で見沼たんぼで昼食を摂ったり(→うそ!サボっていた)今でも、四季の変わり目を見沼で感じる事を楽しみにしています。 *上の写真奥には、見沼の特徴の一つ“斜面林”が見えます

(↓つつじ畑で休憩、春らしい景色があちらこちらで広がります)


さて、そんな見沼のもう一つの名所が、江戸時代に見沼代用水周辺の村と江戸市中との水運のために開削された、閘門式運河です。見沼を流れる自然河川・芝川は、2本ある見沼代用水に比べ3m低い位置を流れており、江戸市中へ農作物や野田で作られた醤油等を船を使って運ぶには、見沼代用水と芝川の間の急な水位差を登り下りする事が出来ません・・・
そこで途中に2カ所ずつの関(閘門)を設けて、水位を調節しながら船を上下させるこの仕組みにより、芝川と見沼代用水との水位差を克服することが出来ました。
(↓見沼代用水と周辺の竹林)

(↓国の史跡に指定された、見沼通船掘りと閘門

(↓通船掘り近くの鈴木家は、幕府から通船権を与えられたひとつ  ↓芝川は昔は悪河川!今はのどかな野川…この地には、と竜に仕えるお姫様のちょっと怖い伝説があります)

その後、浦和くらしの博物館に寄り「さいたまの小春」を楽しんで帰路に着きました。
見沼はハイキングで歩いても、自転車やミニバイクで走っても1日中満喫出来ます! さいたまの隠れた歴史ある名所であり、「川越」とは違った、趣きある“里”です。 是非一度、お越しを★★★
(↓くらし博物館は、武蔵野国の農家や、中山道の旧い商家を移築した公園です)


@帰りにJR浦和駅西口の“かめ福”で五目わんたん麺(醤油味)を食べました いつもながら静かな店内には、クラッシク(たまにオールドポップス)が流れ、“昭和のラーメン店”の風情たっぷり、、、店内に常備されているサザエさんの漫画(単行本)は、一度も最後まで読み終えた事はないけどスープは最後まで飲み終えても、不思議と胃がもたれない優しい味です。
ただし、さすがに五目わんたん麺で980円は、ちと高いかなぁ・・・

★瀬戸塾杯、開催されました(日本空手協会目黒支部大会)

押忍
4月4日(日)私の所属する、日本空手協会瀬戸塾(目黒支部)主催の空手道大会「瀬戸塾杯」が、桜の花が満開の目黒川近く、目黒区民センター体育館にて400人近い参加者(含:観客・ゲスト)を招き、熱戦を繰り広げました。
(↓花曇の目黒川は、桜が満開★★★、私は親子で参加を致しました)

試合種目は、松涛館流の指定型・得意形の試合と自由組手。この2種目を級・段別、世代・男女別そして全くの無差別にて競います。また、団体演武や師範演武、恒例の瀬戸塾杯の目玉!東西対抗戦(自由組手)に加えて、大人の仲間入りとなる「元服」にならい、孔子論語「吾十有五にして學に志す」に由来するとも言われている「立志式」を行いました。該当する塾生男女は大人になる志を両親の前に宣言し、最後は試し割りの木版を正拳突きで割り、誓いを新たにしました。
(↓得意形の試合です、動きが早すぎてカメラアイでは捉えきれません・・↓杉岡三段の得意形/十手/じって)

(↓雲手は高段者が好む形)

(↓男子自由組手の模様です、自分の間合いを保ちつつ、相手の間合いを切る!)

(↓右側の選手の右上段突きが、一瞬早く極まる!↓左回し蹴りで技有り)

(↓審判/小林佳奈子三段は、筑波大学空手部出身、現役全国大会の選手です ↓墨田支部から審判の応援を頂きました)

東京海洋大学空手部vs東北工業大学空手部OB戦 ↓決勝戦東北工業大学空手部vs麗澤大学空手部OB戦に!)


(↓女子組手一般の部の優勝は、新川三段の手に 男子組手一般の部は、津田弐段が優勝 *二人とも、国体、協会全国大会、学連全国大会の上位入賞者です)

(↓瀬戸塾金曜日クラス/壮年部の有志中村女史/後列左/を“壮年”に加えては可哀想…)

さて、私も“50歳以上の形の部”で恥ずかしながら優勝させて頂き(⇒一般部で出場しないと、誰にも誉められません、、、)愚息/堤俊平も初めての大会ながら、初心者の型・約束組手の両部門で入賞(第4位)の成績を修められ、目黒駅前の居酒屋で開かれた打ち上げでは、美味しいお酒を飲む事が出来ました。

●★●★PS/7月10日(土)西新宿のホテルにて、瀬戸師範の著書「子供が喜ぶ論語」到知出版社の出版記念講演会・パーティーが開催され200名を超える参加者が集い、盛況裡に終わる事が出来ました。
参席して頂いた皆様、ありがとうございました!
(↓子供達のお母さんが、ボランティアで大活躍!)

(↓パーティーも美味しく楽しく、為になるプログラムがタップリ! 福井さん、パーティだけではなく、ちゃんと稽古にも参加するように

最後は・・・
押忍!

☆グローバル採用/東北大学(中国)軟件学院

3月9日(火)〜11日(木)に掛けて、日本の大手IT基盤コンサルテーション企業(インフラの構築から運用支援サービス迄、幅広いIT基盤分野を得意分野とされています)J社の若手営業、技術Mgrと、同社が業務提携(→その後100%子会社化)するJソリューションズ(BPMCRMBPOの上流コンサルティングから開発・運用迄の業務アプリケーション分野を得意とされています)の役員の皆さんと、ナレッジ&ワークスが提携する中国東北大学軟件学院(ソフトウエア学部)にて、同社初の会社説明・選考会を実施致しました。
(↓東北大学/ソフトウエア学部/日本企業就職クラスの同学門 *J社グループの会社説明会に真剣な表情です)

(↓一次選考に合格し、二次面接を待つ同学門の面々、、、面接情報を交換していました)

J社は以前より、中国最大手のソフトウエアメーカーNeusoft Corporation(本社:中国瀋陽/Neusoft)とオフショア開発で提携しており、来月には大連に現地法人を設立する予定です。今回のグローバル採用では、日本での活躍を期待する中国人運用コンサルタント、業務系SE、そして大連での現地採用を予定するPG・SEの調達が目的です。同社は留学生を含む外国人社員の活用に積極的で、オフィスは若手社員と英語でコミュニケーションを図る外国人社員や、流暢な日本語を操る中国人技術者、そして何故かオフィスを闊歩する大型のレトリバーが自由さと活気を醸し出してくれています。
(↓面接をご担当されたJ社、Jソリューションズの皆さん、 *面接後は、大連へ向けて汽車へ飛び乗られた方も!)

(↓タイトなスケジュールの終わりは、ナレッジ&ワークスお得意の火鍋と白酒で労をねぎらいました)

(↓鯉を形どった、コラーゲンタップリの中国菜★★★)学生達も“緊張”から解放され、バスケットボールに興じます)

今回の説明・選考会を通して、考えさせらた事の一つとして「グローバル採用に於ける、日本語能力」が上げられます。 一部の日本企業では、自社のグローバル化の為には「優秀な人財を国籍や、使用する言語に関係なく採用すべき!」との声が上る一方、現場に配属された後の「受け入れ体制」や「顧客接点を担う事」を担保せずに、理念先行で“グローバル採用”に着手しており、せっかく優秀なポテンシャルを持っている外国人社員を「現場」がどう受け入れれば良いのか!?(採用側企業で共通言語/ex.英語/でコミュニケーションをはかれない…)どう育成して行けば良いのか!?(育成計画を有していない)混乱しているのも事実です。結果的には有する優秀さ発揮出来ずに、埋もれて行ってしまったり、中には心の病気を患ってしまったり、、、“不幸なマッチング”が発生している事を、経営者はご存知でしょうか!?

幸いな事にJ社の皆さんは、現場での受け入れに細心の注意を払って頂き、現場での議論を重ねた上で採用企画〜選考、そして配属を実施してくれており、互いが学び合う事を是として戦力化を図ってくれています。
ナレッジ&ワークスに求める事は一つだけ! 日本語でのコミュニケーションスキルのブラッシュアップ★★★

グローバル採用って、そもそもその企業が現場から「グローバル標準」に変わって行く事ではないでしょうか!?