★東北地方太平洋沖地震が起きた時のナレッジ&ワークス

3月11日(金)午前中は埼玉大学で過ごし、午後一番のアポイントメント先/大船へJR湘南新宿ラインで向う。  夕方から、呉寧さん、朱愛民さん、林結華さん等と懇親会(上海ビジネスの会)を予定しているので、14:30頃 新橋オフィスに帰着。雑誌を持ってトイレに腰を下ろした時
初動から、揺れに力を感じる地震が始まる。 直ぐに揺れの振幅が大きくなり前後左右に揺れると同時に、水洗タンクの管が外れ、水が大きく吹き出る。慌てて立ち上がり、水洗タンクの蛇口を閉めようとするが、もはや立っているのも怪しい状態にあり、閉めようにも閉められない・・
やっとの事でフロアーに戻ると、棚に平積みにしていたファイルや資料が真横に“飛び”始め、デスクの上のパソコンモニターやTVモニターが、踊りを繰り返し、デスクの引き出しがすべて開き、勢いよく中身が飛び散る。。。この頃になると横揺れは経験した事もない激しい力となり、オフィス内は歩くに歩けない状態に・・・(ナレッジ&ワークスの入居するビルは、10階建てのペンシルビル、、)しっかりと止めて置かなかったパーテーションが倒れ、コロ付きのコピー機・FAXが動き始め、兎に角オフィス什器を押さえるのに必死・・・!、生憎今日は誰も居ない。。。
(↓一度目の大きな揺れの後、ファイルや書類が床に飛び散ったオフィス.....)

「こ・これは、ついに関東・東海大地震が起きてしまったか!!、、、」
窓ガラスがピシー、ピシー音がし、揺れているTVの画面にはコメンテータが避難してしまい、空席だけを映すワイド・ショーが、、窓の外の御成門ランドマークタワーが大きく腰を振っているように見える。。何度かの大きな余震が続く中、電話に噛り付くが、一般加入回線はビジー状態...携帯電話も繋がらず、僅かに携帯メールのみ生きている状態・・・TVでは、震源地の場所・各地の震度、被害状況の速報が入り始めるが、画面に掲示された日本地図のすべての沿岸に、大津波警報が発令され、その到達予想時間が迫る前に既に一部の海岸線で、信じられないような光景が広がり始める。

15:30〜16:00/ 電話回線が不通な中、インターネットは障害も無く生きている様子。face-bookには続々と被害状況が掲示され始める(しかし、この頃から早くも不正確な情報、流言蜚語が飛び始める、、、、)。新橋シオサイトの高層ビルで働く知人より、
『今、東京湾の対岸千葉方面が、火の海! 京葉コンビナートのJFEで大爆発!!』
との書き込みがface-bookに、、、筆者の家族は、今日は全員千葉市の自宅に居るはず・・・・自宅とJFEは距離があるとは言え同じ生活圏であり、電話での安否確認が出来ず不安が募る、、、( ⇒因みに、“JFEで大爆発”は、全くの誤報!! ツイッターやSNSは非常時に大変便利である事は分かったが、信頼性に欠ける書き込みが多いことも良く分かった....)
夕方遅く、埼玉に住む両親と公衆電話経由で連絡が取れる、無事な様子で何よりホッとする。が、未だ千葉の家族とは連絡が付かず、PC経由でメールを送り安否の確認を繰り返す。
(↓写真を撮っている傍から大きな余震が何度もあり、デスクから落ちそうになった事も・・!)

face-bookとE-mailを使い、ナレッジ&ワークスのスタッフ、取引先や知人の安否を確認したり、身近な所での被害状況も次々に入り出す。
(face-book上で、“流言蜚語に気を付けよう!、確かな情報を交換しよう!”と呼びかける)
お客様、取引先に安否確認の一斉同報メールを送信する。

そろそろ帰宅時間が始まる頃、スタッフの安否確認終了(全員無事との事、、ホッ…!)新幹線は勿論の事、関東近郊の電車がほぼ全面運転中止、空の便も欠航、次々に入るテレビやインターネット情報から関東以北・東北での被害が甚大である事と、二次災害による死傷者の拡大、そして東京電力の福島原子力発電施設の事故・異常発生を初めて知る。

17:30/ MSチャットで中国からの安否確認のチャットメールが入り始める。また、中国とスカイプでのコミュニケーションが可能になり、無事な姿を見せる事が出来る。
(中国でも中国中央電視台のトップニュースは勿論の事、すべてのTVが日本で大地震津波発生の緊急番組を流し続けているとの事、)
家族や友達へ携帯電話経由でメールを送るが、発信出来たり、不通になってしまったり…着信も確認できず、阪神淡路大震災時に公衆電話が、連絡を取り合う有効な手段だった事を思い出し、オフィスの外に出る。
エレベーターが停まってしまっている事に初めて気付き、非常階段を使って地上に降りる。

時折、震度4レベルの大きな余震が続く・・

18:00過ぎ/新橋の街は、普段は人通りも無いような筋まで、人・人・人で溢れかえる。どうやらJR新橋駅がシャッターを閉め、運転中止、再開の見込みが立たない事から、帰宅の通勤客が溢れ、徒歩での帰宅を始めたようだ、、まるで大きな花火大会が終わった後のように一つの方向へ人々が向かい、異様な光景が広がる。国道1号線は大渋滞・・・新橋の開いている呑み屋は、会社への居残り、宿泊を決め込んだサラリーマンで溢れている。。
(↓ 筆者も会社への泊まり込みを決め、近所のコンビニエンス・ストアーへ・・・・しかしながら飲料食料品は勿論の事、宿泊セット/洗面用具・タオル、替えの下着・肌着類は早くも、欠品状態でした)

さて千葉の家族の安否ですが、公衆電話で自宅の加入回線に やっと繋がり、全員の無事を確認出来ました。
丁度春休みだった、娘と息子は一緒に愛犬(CoCo)の散歩に出掛けている時に、地震に遭遇。 しかしながら野原の真ん中を散歩していた事もあり、地震の大きさにはあまり気が付いていなかった様子....

筆者「・・・でも家に帰ったら、地震で家の中がメチャクチャになっていたんじゃないの!?」
娘 「家の中はいつもメチャクチャだから、地震かどうか分からないよ。。」

との事、、、地震発生後、初めて笑いました。

大きな災害を東京で受け、感じた事は

以外に落ち着いて対応が出来た(→→と言うよりも、大きな揺れの中 “諦め”の気持ちが湧いて来ていた...)
インターネット回線が非常に有効な通信手段であったが、誤った情報・煽り情報、流言蜚語も多く(←←特に流言蜚語は、その後の原発事故の風評被害に大きな影響を与え続けているネット世代は我々としては、大きな恥ずべき現象!
地震に対する、オフィス什器類の倒壊対応強化(備品類の整頓方法も含む)
事前に家族との連絡手段・連絡先や避難方法、集合先等を決めておく

事を学習出来ました。。
(尚、翌日運転再開した電車に3時間も乗り継ぎ、さいたま市の浦和オフィスへ到着しましたが、オフィス内は目覚まし時計が一つ、床に転がっているだけでした)