★吉冨和彦さん(元リクルート取締役)のお墓参り

リクルート社の取締役で、アジア情報開発・ACDグループの代表取締役でいらっしゃった、吉冨和彦さんのお墓参りへ行って来ました。
秋田駅から歩いて20分程にある、当福寺という小さいながらも風情のあるお寺に眠っていらっしゃいました。
(↓秋田城址公園のお堀をブラブラ歩き、当福寺に向かいます★★★秋田は5月の末なのに真夏のような暑さでした)

吉冨さんは、リクルート時代数々の可笑しな“武勇伝”を残されて来ました
・接待の場で、黙々とお鍋の具を食べ続け(←かなり美味しい鍋料理だった模様..)自分側の具を食べ終えたら、やにわに鍋を半回転させ、お客様側の具を食べ始めた話し…
・営業マンと顧客先への同行時、応接室で待たされている時にアメ玉を舐めだし、お客様が入室した時に慌ててアメ玉を応接用の灰皿に置いて、商談が終わった後、当然のように口に戻した話し…
 (お客様は目を白黒していたらしい....)
・夕方になると、退屈してしまいオフィスで好物の「くさや」を焼いて、フロア中「くさや臭」にしながら、日本酒を飲む話し…
・全社研修で鴨川グランドホテルへ行った際、宴会後の館内のスナックや、ラーメン屋。はたまたお土産屋にまで、いたるところで「吉とみ」のサインで飲食い・買物する部下達が続出、、、(←当時、リクルート社は取締役のサインで“ツケ”も効いたし、“後払いの買物”も可能だった・。・。)帰京後、200万円近い請求書がホテルから送られて来た話し…(←後日、ご自身が“社内処分”を受けた事を耳にした、、)
いつもいつも、抱腹絶倒させられるエピソードの連続でした。

いつもニコニコされ、決して大きな声は出されず、軽妙洒脱。。美味いお酒と地産料理に目が無く、筆者とも食べ歩き、海釣り、温泉ゴルフ・温泉スキー、水泳、マラソン、絵画鑑賞に至るまで、色々なシーンにご一緒させて頂き、色々な事を教えて頂きました(京都の貴船での川床遊び、祇園先斗町、料亭での会食やマナーを教えて頂いたのも吉富さんです)。
(↓“秋田の八百屋の息子…”とよく話していらっしゃいました ナレッジ&ワークスを創業する時、一番最初にオフィスへ訪ねて来て頂いたのも吉富和彦さん=通称“ヨシさん”、です)

吉冨さんのリクルート時代の後半は、少し寂しそうでした
・最愛の息子さん(大学生)を亡くされ、、
・関連企業を含め、多くの役員を兼務され全国を飛び回っていらしゃいましたが、夜は静かに読書や写経をされていました、、
リクルートの経営会議(役員会議)では、何としてでも実現したかった『中国での人材ビジネス』に支持を得られず、、
結果、退任され“独立”の道を選ばれます。

時代の先を見ていて、アイデア良し! 考えるよりも動く事を好まれ、夢を持っている『経営者』でしたが、難点(…と云うか、、周囲をヤキモキさせる点)は、“人を信じて疑わない事”、、
“人を騙したり裏切ったりするよりは、騙されたり、裏切られた方が良い”と思っているところ、、(←そもそも、傍から見て“騙されている!”のに、騙されているとは思っていない点が凄かった....)
これは、生涯変わりませんでした。。

独立後の吉富さんは、波乱万丈でありながら、感謝の気持ちを大切にされ、最後の最期まで望みを失わない「夢追い人」でした
還暦前に、「咽喉、食道癌」を患られ食道と胃の半分を失ない、声帯をも失われる大病をご経験....手術前にネッキー(リクルート社で筆者と同僚、現:博展株式会社/代表取締役の田中正則氏)とカセットデッキを病室に持参し、手術で声を失われる前に、“吉富節とカラオケで歌のレター”を吹き込んで貰った時の、照れた顔を想いだします。
その後 台湾の会社も日本の会社も清算せざる得なくなり、その整理に伴いご自身の蓄財や生活そのものも、大きな負担を強いられた様子でした、、、
そんな中でも事業意欲は衰えず、再度 中国のエンジニアを日本のIT系企業へ派遣するビジネスや、中国東北地方でのソフトウエアのオフショア開発、台湾からの留学生招聘ビジネス等、新たなチャレンジを開始!! 私の中国ビジネスのきっかけもすべて、吉富さんから学びました。

・台湾、中国の歴史や文化、民族・習慣をこよなく愛し(中華人民共和国の国体である、共産党には厳しい眼を向けていました)
・言葉を失ってしまった分、詩を詠まれたり水彩画で才能を発揮されたり、また大好きなジョギングも再開されました
・“味覚を失ってしまった分、体が滋養を感じるようになった”“毎日を平穏に過ごせる事のありがたさに手を合わせる”
 ・・・そんな毎日の一方、
・活動範囲を、台湾・中国プラス、韓国、タイ、ベトナムへ広げられ この頃から私(堤 英俊)も鞄持ちとしてご一緒し始めました

大連のホテルの相部屋で、「史記」を読んでいたヨシさんが、“人間は3,000年前と何も変わっていない...人が集まると足の引っ張り合い、権力闘争、役人は腐敗し、老いれば保身、、、周、秦、漢の時代も、今の中国も、世界の覇権を競う国々も何も変わっていない、、人間の“業”…!”と話された事、今でも忘れません・・・

そして、最期を迎えられて....
・平成21年7月の海の日の三連休、吉富さんは日課のジョギングを終え、石神井公園の自宅で倒れられました
・連休明けに連絡が取れない(出社しない)事を訝しんだ、アジア情報開発の中国人社員が自宅を訪ね、倒れている姿を発見しました
脳梗塞、、この暑い最中に倒れられ、数日が過ぎてましたが、驚異的な体力で心臓を動かし呼吸を続け、生きていらっしゃり病院へ搬送されました 

3年前、私は吉冨さんの経営するアジア情報開発社の非常勤取締役となりました。
一昨年には私が代表取締役となって、彼を手助けし、吉冨さんはACDグループ全体の統括と、趣味を兼ねての東南アジア巡り、、、、、を心待ちにしていらっしゃいました.....しかし、私と吉富さんとの会社経営に関する考え方の違いから、代表権を持つことはご破算となり、私は独立。大層ガッカリさせてしまいました。。(本当に申し訳ない限りです、、吉富さん! ごめんなさい)が、その後も何のわだかまりもなく、惜しみなく中国ビジネスのアドバイスやチャンスを頂いたり、培われた人脈を提供して頂き、ナレッジ&ワークスの「今」が在ります(特に弊社の副代表“周 而立”女士との縁を繋いで頂いた事は、代えがたい財産です
倒れられ、入院されてから私は非常勤取締役として、後処理(事業の清算、会社の休眠、営業権譲渡等)に東奔西走し、税理士の先生を始め法律家の方々に力を借りながら、何とか株主の皆さんや従業員、債権者、国税にも納得して頂いた上で、経営にピリオドを打ちました(かなりのパワーと覚悟を決めて、取り組みました)。
 ……吉冨さんが調子が良い時には、美辞麗句を並べ近寄って来ながら、具合が悪くなると踵を返したように逃げてしまい、何もしない人達...(かつてのステークホルダー達) 
吉冨さんの「褌」で相撲を取るだけとって、頬被りを決め込む自称“友人”、、、、
日頃は、偉そうな御託を並べながら、最後は言い訳や恨み言まで並べる、信用の出来ない先達、、、
本当に悔しく、ガッカリさせられたものです。

が、最後の最期まで吉富さんは“人の業”を教えてくれ、また“人を恨まないこと”も教えてくれました。。

平成22年夏、永眠
夏風邪をこじらせ、ご永眠。。
最期は最愛のお嬢様はじめ、ご家族に見守られ静かに息を引き取られたそうです。

亡くなられる3ヶ月前に、病院へお見舞いにお邪魔した際、一生懸命リハビリ(最後までベッドから体を起こす事は出来ませんでしたが、意識はハッキリ戻られており、指さし会話や簡単な筆談が出来るまで回復されていました)を続ける吉富さんに、

『ヨシさん、元気になっても 二度と事業は興さないで下さいよ!』と笑いながら話しかけた私、、
ニコニコしながら小さく顔を左右に振り“まだまだ!”をされたのが最期でした。

吉冨さん、天国で美味しいものをうんと食べて、呑んで、いつまでも私達を見守って下さい。
吉冨 和彦さん 享年68歳

合掌
(↓秋田/当福寺に眠る、吉富和彦さんのお墓 

☆五十肩で苦しむ、ポンコツ空手家(中国吸い玉治療)

空手の稽古に怪我は付き物....
とは云うものの、五十(歳代)の声を聞いてから稽古中の怪我が多く、また治りにくくなって来た事も事実、、
6年程前に、空手の合宿中に下腿三頭筋断裂(重度な肉離れ!?)を経験してから、大腿四頭筋断裂、足の指の骨折、去年の夏には社用車のパンク修理中にギックリ腰〜軽い椎間板ヘルニア
右足の膝は定期的な水抜きと、ヒアルロンサン注射....そして今、最も厄介なのが、年末に痛めた
“五十肩”!!

年末最後の空手の稽古(於:埼玉浦和中央支部/本空会)に参加した際、「中段突き1,000本」で左肩を痛めてからです、、
ある高さから左腕が上がりません、(電車の吊革掴まれません)
下着のシャツの着替え、ワイシャツの袖通しが痛くて、腰を回して着替えます
左肩の前部と後部に非常に痛い箇所が3〜4箇所あり、押すと“痛・気持ち良い”です
時間をかけ、ゆっくり肩関節を回そうとすると、関節から“ゴリ!ボキッ!!ガッタン!!!コリッ...”と異音と違和感があります
冬場の就寝時は、部屋の温度が下がるにつれ痛みで目が覚めてしまう事もあり、電気ストーブを左肩に照て、一夜を過ごしていました。

人に勧められる治療は、ほとんど試して見ました(整形外科、針灸、電気、スポーツマッサージ等)が、治療を受けた後の1〜2日間は調子が良いのですが、すぐに元の状態に戻ってしまう、、、
また、
◎鉄棒にぶら下がって、肩を伸ばすと良い!
◎ボクシングで言うジャブを、痛くても我慢して繰返し打つべし!
◎風呂の湯船で徹底的に温める事!
と言うアドバイスも頂き、試してはみるのですが、空手の基本稽古は
「左の上段・中段突き」出来ません
「左手刀受け」肩に激痛走ります
「左上段上げ受け」腕も肩も上がりません
「左の内・外受け」蚊が止まるようなスピードなら出来ます....

そんな事もあり、今年は中国へ出張する度に中国鍼灸治療、整体を受けています。
因みに筆者が中国で受けている「治療」は、リフレッシュを兼ねており、サウナや垢すり、足つぼマッサージや全身マッサージ(エステティック)で都合3時間〜4時間で100元〜150元(≒1,300円〜1,950円)程度で楽しめます。しかしながら今回は、本格的な治療を目的に治療院を探し「五十肩」と「腰」を集中的に診て貰いました。

結果、施された治療は本格的な鍼灸と、「吸い玉」治療●●● ●●●
(↓あまりにも“見苦しい”姿なので、小さい写真でご勘弁を、、、)

「吸い玉治療」は、数千年の歴史を持つ中国の民間療法の一つで、中国人は自宅に「吸玉キット」を持っている人も数多いそうです。
最近は「カッピング」と言う名称で、日本でも愛好者が増えて来ているそうですが、特徴は“蛸壺”のような形のガラス製(又はプラスチック製)の透明な「玉」を使用し
電動・手動ポンプで吸い玉中の空気を抜き、気圧を下げて患部に「吸い付かせる」方法、又は吸い玉の中の空気を「炎」で瞬間的に燃やし、「真空状態の玉」を患部に「吸い付かせる」やり方を
取っており、結果下記のような跡が残ります、、、
(↓患部は、大型のキッス・マークのような、赤黒い跡が残ります....赤黒くなればなる程、効いているそうですが、、・・。。放心状態....)

ちょっと人前で、肌は見せられない状態になってしまいます。
いずれにしても、“血を綺麗にし、患部の老廃物を除去し、自律神経を調整され、自然治癒力を上げる”効果があるそうです。

さて、その効果の程は、、、!??
帰国後1週間位は、肩も良く回り(軽くなった)ように感じましたが、結局また同じ状態に戻ってしまいました・・・・
『長く通わなければ、治らないよ』と言われても、流石に中国まで通院する時間もコストも有る筈もなく(治療費自体は、80元程度です)。

“五十肩は、半年位するといつの間にか治っている”と聞かされた事もありましたが、2011年末になっても状態に変化なし。。
因みに、今回の中国鍼灸院での治療(整体)で格段に快調になったのは、ついでに診て貰った「右膝の痛み」がかなり和らいだ事です●●●

しかしながら、楽しい民間療法でした。まだまだ、特定の地方や民族に伝承されている治療があるそうなので、探して試して報告させて頂きますね!!

★中国人ビジネスマンへの研修実施!

5月の黄金周を使って、日本の大手情報サービス企業へ内定が決まっている中国人ビジネスマン向けに、研修(ワークショップ形式)を実施して来ました(震災の影響で、4月1日付入社がずれました・・)
今回の狙いは、出身地もキャリアも違う7名が、“互いを知る事”“互いの価値観を体感する事”“日本で働く事の意味の再考”そして何よりも、いずれ配属もバラバラになる彼等の『結団式』を兼ねた内容です。

二人づつペアになりお互いのインタビューの後、お決まりの“ペアの相手を他者に紹介”等、プログラムが進んで行きましたが、何と言っても盛り上がったのはホント、久し振りに実施したコンセンサスゲーム「若い女性と水夫
何となく覚えている方々に、ゲームのサマリィをご披露★★★

他者を知る/価値観を知る
他者を知る、互いを知る際に大切なことの一つとして、「価値観を知る」ということが上げられます。価値観とは、その人だけの物の考え方や判断の基準、その人が大切にしていることです。それまでの経験から作られます。
一般的に好き嫌いもこの価値観がべースにあることが多いです。私たちは、自分の価値観が正しいと思うし、(もちろん正解はありませんが)他の人も同じ価値観を持っていると錯覚してしまいがちです。しかし、価値観のまったく同じ人はいないでしょう。次の文章を読んで下さい。そして好き嫌いで好感度の順位をつけてみましょう。

若い女性と水夫」 
嵐に遭遇して一隻の船が沈没しました。その船に乗っていた人たちの中で運よく、5人が何とか救命ボートに乗ることができました。一隻のボートには、水夫と若い女性、それに老人の3人が、もう一隻のボートには、若い女性のフィアンセとその親友の2人が乗り合わせました。悪天候の下、波に揺られる間に、2隻のボートは別れ別れになってしまいました。
 
彼女の乗っていた一隻はある島に流れ着きました。フィアンセと離ればなれになった彼女は、フィアンセが生存している手がかりを何とかしてつかもうと一日中もう一隻のボートを探しましたが、何の手がかりも得られることができませんでした。翌日天候は回復しましたが、若い女性はなおもあきらめきれず、フィアンセを探し求めましたが、やはり見つけることはできませんでした。

 彼女はある日、海のかなた遠くに一つの島かげを発見しました。彼女は矢もたてもたまらず、フィアンセを探したい一心で、水夫に「ボートを修理して、あの島につれていってくれませんか」と頼みました。水夫は彼女の願いに応じてもよいと言いましたが、一つ条件を持ち出しました。それは、彼女と一夜を共にするということでした。

がっかりし、困り果てた彼女は老人に「私は困ってしまいました・・・どうすればよいか、何かよい方法を教えて下さい。」と相談を持ちかけました。老人は、「あなたにとって何が正しいのか、あるいは何が間違っているのか、私は言うことができません。あなたの心に聞いて、それに従いなさい。」というのみでした。彼女は悩み苦しんだ挙げ句、結局水夫の言うとおりにしました。

 翌朝、水夫はボートを修理して、彼女をその島につれていってやりました。フィアンセの姿を遠くから見つけた彼女は、浜辺に着くやおそしと、ボートから飛び出し、かけあがり、そこにいるフィアンセの胸に深く抱かれました。フィアンセの暖かい腕の中で、彼女は昨夜のことを話そうかどうかと迷いましたが、結局思い切って打ちあけました。それを聞いたフィアンセは怒り狂い、彼女に「もう二度と顔を見たくない!」と叫びながら走り去りました。泣きながら彼女は一人浜辺に下りていきました。
彼女を見たフィアンセの親友は、彼女のところに行き、肩に手をかけて、「君たち二人がケンカしたことは僕にもよくわかる。フィアンセに話をしてあげよう。それまでしばらくの間、私があなたの世話をしてあげよう。」と話しました。

自己作業
1)文章をよく読み、登場人物の中で あなたが好感を持てる人物順に順位をつけて下さい

2)1番〜5番まで、順位を付けた理由を整理しておいて下さい(書き出して下さい)

グループワーク  
1)各グループで1人ずつ順位と理由を交換し、グループ内で討議を通じて
コンセンサスをとり、グループ内で順位を決定して下さい  

各グループ発表 
各グループの発表に対して、他のグループから意見や感想を述べて下さい

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ずいぶん懐かしい方もいらっしゃるのではないでしょうか!?
かつては、新卒採用のグループディスカッションや職場研修のアイスブレイクに良く使われたコンセンサスゲームでした。。
しかし、しかし.....“コンテンツが古い!” と侮る無かれ!!時代が変わっても、お国が変わっても、“大盛り上がり”のゲームでした。
何と言っても、同じ気持ちや価値観を持っていると思っていた人と、自分が付けた順位結果が大きく違う事、また好感度を観る観点がそれぞれ違う事、同じ傾向の順位でも、上げた理由が全く違う事。
そして、それをまとめ、コンセンサスの取って行く為の議論が結構「タフ」な事、、、

(↓ お決まりの“結果バラバラ....コンセンサス取れず、、、、)

個人的には一人ひとりの好き嫌いや、考え方、リーダーシップ、フォロワーシップが分かった楽しい研修でした★★★
(↓ “説得”される男性人→中国では極端に男性が“弱い...”  引き替え、女性のプレゼン&説得の話法は凄い!!


研修終了後は、夕食会をしかしながら、まだ冷めやらぬ「若い女性と水夫」……
ちょっと疲れた表情ですが、明日の7:30に大連水子国際空港に集合! 一路、日本を目指します■■■

そして黄金周の最終日朝、筆者引率で日本へ向いました(無事、日本・東京着、、明日から満員電車に揺られ、東京駅八重洲口まで。。日本での生活が始まりました)

☆外国人社員が、皆んな帰国しちゃった。。。震災の思わぬ影響

東日本大震災で、実施が延期となっていた“大手オンラインゲーム企業”の中国新卒採用が大連で実施されました。

関東地方以北で大きな被害を出してしまった東日本大震災は、数日後に思わぬ事態を全国で招きました。
日本に留学中の外国人留学生、日本で働く外国人社員・経営幹部の母国への脱出&帰国と言う事態です。
☆3月14日(月)早朝、いつものように最寄駅(JR蘇我駅)へ向うタクシーを無線で呼ぶが、全く配車が出来ない状況...テレビのニュースでは、首都圏の鉄道が休止を決めているような様子・・急いでバスに乗り、JR千葉駅へ向うも、大網街道が大渋滞で全く動かず、、娘からの電話で首都圏では福島原発の事故により電気の供給が安定しない為、鉄道はすべて運行を見合わせた事を知る。しょうがないので、途中下車をし
「今日は仕事を休もう!」と決意し、春らしい暖かな陽射しを浴びながら自宅へブラブラ戻る。。 
↓(自宅の近所の仁戸名市民の森の庚塚古墳が散歩道)

自宅に着く頃、携帯電話が鳴り始め、お客様や会社から
『4月に入社が決まっていた、外国人社員から内定辞退の連絡が入っているが、、、』『中国の大学生から、入社時期を延期して欲しいとのメールが届いたが・・・』
『去年の10月に入社した、外国人社員達が退職を申し入れて来ているが......』 『中国人技術者達が、大使館から帰国命令が出たと言って来ているが、どう対応すれば良いのか・・・』
『海外での採用活動を、一旦延期する事が決まったのだけれど。。。』等々 ◆◆◆… … ◇◇◇
こ・これは、自宅で休日を決め込むどころの騒ぎではない!
 火急な対応が急務!!!
ツーリング用のバイクに跨り、東関道〜湾岸道路を一路、東京のオフィスを目指す。。(湾岸浦安の出口は大渋滞.....新木場から先の首都高速道路に入れず、苦労して新橋・オフィス着)

インド人エンジニアが全員帰国してしまった、大手ポータルサイト運営会社
欧米出身の社員達から、大量の休暇願いが出された金融機関
帰国命令により、新潟空港・成田空港へ向う、中国人技術者達を乗せたチャーターバス
母国の親が急病・・・との理由で帰国を急ぐ、留学生・日本語学校の就学生達
早朝からごった返す、東京入国管理局、、、東京駅から西へ向う新幹線ホームは、人・人・人、、、
高騰し、通常の3倍の値段で取引される、出国用航空チケット(←日本への入国便は、ガラガラ....)
両親からの厳命で、日本への就職を辞退する中国の大学生達...

その後、大変な状況が続きました(震災後半年経った今も、その影響は続いています)。自然災害に見舞われる事が多い、日本(=日本人)は比較的冷静にこの事態を見つめ、対応していますが、日本での生活が短く且つ、取り立てて「国」に対するロイヤリティも無い外国人達を中心に、日本からの大脱出が始まりました。 また、ここでも正しいな情報が交換されていない事から、必要以上に地震津波・火災、そして福島原発の事故がデフォルメされたり、誤って流され多くの風評被害が混乱に拍車をかけました・・・

そんな中、3月に一旦延期を決めた、大手オンラインゲーム社(K社)の初の「中国での新卒採用」が実施され、期待と不安を持ちながら大連へ向いました。

結果は、多くの学生が延期されていた、K社の新卒採用説明・選考会の再開を待ち望んでおり、同時期に大連市主催の中国大手企業の合同会社説明会とバッティングする中、沢山の学生達が書類選考を経てやって来ました。

(↑ 説明・選考会に臨む、大連理工大学・大連交通大学・大連海事大学・大連外国語学院の学生達)

(↓ Web開発のエンジニアの採用は勿論の事、バックオフィスの採用選考も実施されました)

『日本が震災で困っているからこそ、自分達の力でゲームの開発を通じて、日本人に“楽しみ”を提供して行きたい』
『子供の頃から、日本のアニメやゲームで育ち、日本への憧れは今日も変わらない』
『両親は原発の影響を心配しているけど、既に日本で暮らす友達から、“大丈夫だから、安心して来日して!”と言われている』

国内での混乱を見て来ただけに、本当に嬉しい声を聞かせてくれました(謝々!

閑話休題 春の大連労働公園の休日◆

(↑ 大連は春と秋が、1番! 花が咲き乱れ、日本と露西亜の異国情緒感じる美しい街です)

(↑ 労働公園では、池の水を筆に浸し“唐詩”を書く人の姿も。。)

(↑ こちらは、トランプ博打を楽しむ、老人们 トランプや屋外麻雀が盛んです)



(↑ 中国の広場・公園の名物 “結婚相手募集!”の求人情報!?です  本人が貼りに来ている訳ではありません! 子供の結婚相手を心配する、両親や兄弟が、“オープン募集エリア”に集まり、情報交換をしています 学歴・勤務先・預貯金や不動産の有無、そして性格よりも“背の高さ”が必要最低情報として掲示されているのが、面白いですね

★東北地方太平洋沖地震が起きた時のナレッジ&ワークス

3月11日(金)午前中は埼玉大学で過ごし、午後一番のアポイントメント先/大船へJR湘南新宿ラインで向う。  夕方から、呉寧さん、朱愛民さん、林結華さん等と懇親会(上海ビジネスの会)を予定しているので、14:30頃 新橋オフィスに帰着。雑誌を持ってトイレに腰を下ろした時
初動から、揺れに力を感じる地震が始まる。 直ぐに揺れの振幅が大きくなり前後左右に揺れると同時に、水洗タンクの管が外れ、水が大きく吹き出る。慌てて立ち上がり、水洗タンクの蛇口を閉めようとするが、もはや立っているのも怪しい状態にあり、閉めようにも閉められない・・
やっとの事でフロアーに戻ると、棚に平積みにしていたファイルや資料が真横に“飛び”始め、デスクの上のパソコンモニターやTVモニターが、踊りを繰り返し、デスクの引き出しがすべて開き、勢いよく中身が飛び散る。。。この頃になると横揺れは経験した事もない激しい力となり、オフィス内は歩くに歩けない状態に・・・(ナレッジ&ワークスの入居するビルは、10階建てのペンシルビル、、)しっかりと止めて置かなかったパーテーションが倒れ、コロ付きのコピー機・FAXが動き始め、兎に角オフィス什器を押さえるのに必死・・・!、生憎今日は誰も居ない。。。
(↓一度目の大きな揺れの後、ファイルや書類が床に飛び散ったオフィス.....)

「こ・これは、ついに関東・東海大地震が起きてしまったか!!、、、」
窓ガラスがピシー、ピシー音がし、揺れているTVの画面にはコメンテータが避難してしまい、空席だけを映すワイド・ショーが、、窓の外の御成門ランドマークタワーが大きく腰を振っているように見える。。何度かの大きな余震が続く中、電話に噛り付くが、一般加入回線はビジー状態...携帯電話も繋がらず、僅かに携帯メールのみ生きている状態・・・TVでは、震源地の場所・各地の震度、被害状況の速報が入り始めるが、画面に掲示された日本地図のすべての沿岸に、大津波警報が発令され、その到達予想時間が迫る前に既に一部の海岸線で、信じられないような光景が広がり始める。

15:30〜16:00/ 電話回線が不通な中、インターネットは障害も無く生きている様子。face-bookには続々と被害状況が掲示され始める(しかし、この頃から早くも不正確な情報、流言蜚語が飛び始める、、、、)。新橋シオサイトの高層ビルで働く知人より、
『今、東京湾の対岸千葉方面が、火の海! 京葉コンビナートのJFEで大爆発!!』
との書き込みがface-bookに、、、筆者の家族は、今日は全員千葉市の自宅に居るはず・・・・自宅とJFEは距離があるとは言え同じ生活圏であり、電話での安否確認が出来ず不安が募る、、、( ⇒因みに、“JFEで大爆発”は、全くの誤報!! ツイッターやSNSは非常時に大変便利である事は分かったが、信頼性に欠ける書き込みが多いことも良く分かった....)
夕方遅く、埼玉に住む両親と公衆電話経由で連絡が取れる、無事な様子で何よりホッとする。が、未だ千葉の家族とは連絡が付かず、PC経由でメールを送り安否の確認を繰り返す。
(↓写真を撮っている傍から大きな余震が何度もあり、デスクから落ちそうになった事も・・!)

face-bookとE-mailを使い、ナレッジ&ワークスのスタッフ、取引先や知人の安否を確認したり、身近な所での被害状況も次々に入り出す。
(face-book上で、“流言蜚語に気を付けよう!、確かな情報を交換しよう!”と呼びかける)
お客様、取引先に安否確認の一斉同報メールを送信する。

そろそろ帰宅時間が始まる頃、スタッフの安否確認終了(全員無事との事、、ホッ…!)新幹線は勿論の事、関東近郊の電車がほぼ全面運転中止、空の便も欠航、次々に入るテレビやインターネット情報から関東以北・東北での被害が甚大である事と、二次災害による死傷者の拡大、そして東京電力の福島原子力発電施設の事故・異常発生を初めて知る。

17:30/ MSチャットで中国からの安否確認のチャットメールが入り始める。また、中国とスカイプでのコミュニケーションが可能になり、無事な姿を見せる事が出来る。
(中国でも中国中央電視台のトップニュースは勿論の事、すべてのTVが日本で大地震津波発生の緊急番組を流し続けているとの事、)
家族や友達へ携帯電話経由でメールを送るが、発信出来たり、不通になってしまったり…着信も確認できず、阪神淡路大震災時に公衆電話が、連絡を取り合う有効な手段だった事を思い出し、オフィスの外に出る。
エレベーターが停まってしまっている事に初めて気付き、非常階段を使って地上に降りる。

時折、震度4レベルの大きな余震が続く・・

18:00過ぎ/新橋の街は、普段は人通りも無いような筋まで、人・人・人で溢れかえる。どうやらJR新橋駅がシャッターを閉め、運転中止、再開の見込みが立たない事から、帰宅の通勤客が溢れ、徒歩での帰宅を始めたようだ、、まるで大きな花火大会が終わった後のように一つの方向へ人々が向かい、異様な光景が広がる。国道1号線は大渋滞・・・新橋の開いている呑み屋は、会社への居残り、宿泊を決め込んだサラリーマンで溢れている。。
(↓ 筆者も会社への泊まり込みを決め、近所のコンビニエンス・ストアーへ・・・・しかしながら飲料食料品は勿論の事、宿泊セット/洗面用具・タオル、替えの下着・肌着類は早くも、欠品状態でした)

さて千葉の家族の安否ですが、公衆電話で自宅の加入回線に やっと繋がり、全員の無事を確認出来ました。
丁度春休みだった、娘と息子は一緒に愛犬(CoCo)の散歩に出掛けている時に、地震に遭遇。 しかしながら野原の真ん中を散歩していた事もあり、地震の大きさにはあまり気が付いていなかった様子....

筆者「・・・でも家に帰ったら、地震で家の中がメチャクチャになっていたんじゃないの!?」
娘 「家の中はいつもメチャクチャだから、地震かどうか分からないよ。。」

との事、、、地震発生後、初めて笑いました。

大きな災害を東京で受け、感じた事は

以外に落ち着いて対応が出来た(→→と言うよりも、大きな揺れの中 “諦め”の気持ちが湧いて来ていた...)
インターネット回線が非常に有効な通信手段であったが、誤った情報・煽り情報、流言蜚語も多く(←←特に流言蜚語は、その後の原発事故の風評被害に大きな影響を与え続けているネット世代は我々としては、大きな恥ずべき現象!
地震に対する、オフィス什器類の倒壊対応強化(備品類の整頓方法も含む)
事前に家族との連絡手段・連絡先や避難方法、集合先等を決めておく

事を学習出来ました。。
(尚、翌日運転再開した電車に3時間も乗り継ぎ、さいたま市の浦和オフィスへ到着しましたが、オフィス内は目覚まし時計が一つ、床に転がっているだけでした)

☆14:46 東日本大震災発生、言葉を失う、、


2011年3月11日(金曜日)午後2時46分、東北地方太平洋沖大地震発生する。
同時に太平洋・三陸沖沿岸に大津波が、、、10,000人近い命を飲み込み、流し大火災発生。
同じく、東京電力福島原子力発電所にて大事故、放射性物質が大量に漏れ、汚染が広がる。

20歳代の頃から、多くの想い出を作ってくれた、三陸海岸・・・
オートバイで丁寧に回った、久慈,白井海岸,田野畑,田老, そして名も知らない海岸で垂れた釣り糸・・
ローカル鉄道で一緒に巡った、幻想的な龍泉洞、野生の大鹿を見つけた陸中海岸、浄土ヶ浜の美しさに見惚れた宮古、、
(冷たい海水に頭をキンキンにしながら、烏賊徳利で暖を取ったこと…)生牡蠣の養殖を見学に訪ねた下閉伊郡・山田町、、カレイの沖釣りを楽しんだ気仙沼や松島、、、

みんな、みんな飲み込まれ、流され、忽然と無くなって行った・・・

言葉を失う。

テレビの画面に映し出される、地震津波の映像・音声、、淡々と続く信じられない光景に慄く人々の姿、、、
改めて思い知らされる自然の非情さ、底知れぬ怖さ、そして なぜか切ない美しさ、、、

思考を失う。

言葉を継げない。

太古からの築いて来た文明も、人間の営みも、何の意味も持たない。
何を暗示しているのか!? 神の摂理なのか!? それとも大自然の“慈愛”・・・

私たちは決して忘れない、 2011年3月11日 金曜日 午後2時46分



言葉を失う。
言葉の空しさ・・・
言葉の無責任さ、、、、

言葉が何の役にも立たない事を知る、
言葉に失望する、、

ーーーーーーーこの度の震災後、ブログを書く気持ちが失せてしまいましたーーーーーーー
あまりにもの現実の非常さ、自然の怖さ、一瞬の出来事の重さに、「ナレッジ&ワークスの社長のつぶやき」も何も、あったものじゃないだろう.....
言葉を失いました、、
そして、その後経験した 言葉の持つ意味の拙さや危うさ、無責任さにブログを更新する気持ちも失せて行きました。

過日、仙台と福島を訪れ 復興が続く港町で多くの被災者の皆さんと会いました。
(カメラを持参しましたが、今回はシャッターを押す気持ちになれなかった・・人にカメラを向ける気になれなかった...)
淡々とした「言葉」のやり取りの中で感じたことは、“諦め”とか“切なさ”とか云ったものではなく、「慈悲
すべてを受け入れ、許し、祈り、慈しみ、それでも、愛して行こうとする、「慈悲のこころ

東日本大震災から、今日で半年。

遠い東京で、悶々とした気持ちを抱えていましたが、少しだけ“やるべき事”が見えて来そうな灯がともりました。

2011年9月11日 記す  


【2011.05.11現在の被害】
●死者     1万5,782人
●行方不明者    4,086人
●負傷者      5,932人

マグニチュード:9.0
最大震度   :7 (海溝型地震、逆断層型地震

自然災害としては、有史以来の大津波が同時発生、東日本太平洋側で壊滅的な被害
また、北米各地 南米チリ、ニュージーランド、ロシアでも津波を確認。
人災として、福島・東京電力原子力発電所にて放射能漏れが、続き 現在も被害拡大中。

合掌

★ナレッジ&ワークスのグローバル化とは、混じり合う事!

2月26日(土)、社団法人/中小企業診断協会東京支部(国際部)のお招きで、国際ビジネス新春セミナーのゲストプレゼンターとして参加しました。

(↑セミナー終了後、中小企業診断士の有志に方々にお招き頂き、大山駅近くの好味来飯店にて懇親交流会を実施 多くの会員の方々と会話が弾みました   ・・・この中国菜のお店、華北の味付けでレベル高い!★★
今回のセミナーは、企業のグローバル化が加速する中、中小企業診断士の皆さんにも、顧問企業への国際化支援に期待が集まっているとの事。そんな中、国際業務に取り組んでいる経営者の話や事例から、サポートポイントを考える事をテーマとされました。
40人近くの会員の方々に、不肖「ナレッジ&ワークス/堤英俊」の経験がどこまでお役に立つか半信半疑ながら、1時間の持ち時間を目一杯使わせて頂きました。題して『中国との7年間ーー信頼できるパートナーと自己責任』という演題に則し、中国人材ビジネスを起業したきっかけ/その楽しさと難しさ/私見・中国とは!?中国人とは!?/中国でビジネスをするポイント/企業使命とパートナーとの相互信頼等を、初めて作ったパワーポイントを駆使(!?)してお話させて頂きました。
(↓同じく演者のグレープ・サウンズ株式会社社長の菊池洋氏は、生産拠点の海外移設や販売網構築のコンサルタントをされていらっしゃいます)

私自身非常に無知であったのは、中小企業診断士の皆さんの多くが企業内の有資格者であり、実際に独立をされ自営をされている方が少ない事、また幅広い世代の方が在席され、互いの強みを活かされたネットワークを構築されている事等、初めて知る事ばかりです。また実際に所属する企業の海外担当として、現地法人の立上げやSCM構築のご経験者も数多く“その道の先輩”を前に恥ずかしい限りでした・・・、、しかしながら、小さな企業がいかに社会的使命を持ち、競争優位性を担保しながらキャッシュと向き合い夢を実現して行くのか!?、、、失敗談や経験則に基づいた話しに関心を持って頂けたように思えます。 また私自身は、当日のプレゼンテーション用資料の準備を通じて、今日までの事を振り返る良い機会を頂けたと思います。特にグローバル化が企業のキーワードとなる昨今、自身に取ってのグローバル化とは何ぞや!?、、と言う事を考える機会となりました。 そんな訳で、斯様な機会を提供して頂いた中小企業診断協会東京支部(国際部)の皆様に感謝★★★

★★★私にとっての“グローバル化”とは“混じり合うこと”と定義できた大切な機会でした