☆自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ


(昨年末までの本社/リクルート銀座8丁目ビル(通称:G8)
 お盆明けの今週は、リクルートグループのHR(Human Resource)系グループ会社の方々や、SP(Sales Promotion)部門の方々との打ち合わせや、知恵を借りる事が多く“懐かしい一時”と相変わらずテンポの速い“会話”を楽しみました。

(↓リクルートエージェント社 霞ヶ関ビル/法人受付)

思えば、昭和58年7月に中途採用として、当時の㈱日本リクルートセンターへ入社し、22年間。本当に色々な事がありました(…ちなみに、それ以前は“契約社員”として、約1年半の勤務経験があります)。

☆“日陰者のマーケット・・・”中途採用のマーケットをメジャーに! 来る日も来る日も、「布教活動」に
等しい「(飛込み)営業活動」で足に豆を作った、「週刊:就職情報」と創刊間際の「とらばーゆ」の営業。。
⇒新たな市場を私達の手で!  日本の採用システムとして中途採用の地位向上! やり直し人生の支援!!・・・ 本当に大変な仕事でしたが、世の中の不条理を変えたい!世の中に中途採用の意味や意義を感じさせたい一心で、営業も販売も、編集も制作も“志し”に溢れていました。


通信の自由化による、新たなマーケットとインフラ(ネットワークと端末)を押さえて次代の価値創造・・・!社内の情報通信ネットワークの余剰分(余った回線)を、又貸しした事がヒントに、NTT回線の再販(=リセール)ビジネスと、大型コンピュータのタイムシェアや保守からスタートした、I&N事業。
“価値優位型”の商品・サービスの提供を得意とするリクルート社で、唯一“安さ!”にしか魅力が無い、超!“価格優位型”のサービス(実際は、売っても売っても赤字…)、リクルートのINSサービス。
本当に朝早くから、深夜まで働きました。
朝は8:00から、自分の課のミーティング、日中は分刻みの営業同行、夜は接待で盛上げまくるか、お客様のキーマン(決裁権者)のご自宅へ宅訪(←不動産業界の皆さんは、夜訪と呼んでいます)。。
メンバーの中には、23時を過ぎても、お客様宅が見つからず夜道や畦道を徘徊する者・・・やっと見つけたお客様宅で無事“保護”され、同情と涙を誘った新人君達・・・
お客様宅で、夜食とお風呂までご馳走になり、昼間の疲れから、そのまま湯船で眠ってしまった営業チーフ・・・・
そして、当時の営業部長の竹原敬二さん(竹さん)は、平気で午前1:00からのMgr会議を招集します。。

私も一時期、カプセルホテルに住民票を移そうかと、考えた事もありました(リクルート都心部のビル地下2階には、いつでも宿泊出来る施設が完璧に整っていました)。

でもそれも、これも、“新しいマーケットでの生みの苦しみは、当たり前の事・・!必ず我々が日本の通信ネットワーク事業とソフトウェア(←当時は“付加価値”を指して、そう呼んでいた)の融合を通じて、通信自由化の覇者になる!”と信じて「営業」していました。          *当時の仲間は、今でも“戦友”です

 そして、その後の「リクルート事件」、、、、
バブルの崩壊による、自社及び関連会社の負債の肩代わりによる、「有利子負債:1兆4,100億円」===
経営再建策としての、「ダイエーによるリクルート株の取得」。。。。
  私個人としては、人材系ビジネスの再編・総合化(人材総合サービス事業部誕生!)、グループHR構想、販売会社のミッション再設定と統合、等々・・・

 思えば私のリクルート人生での後半、2/3近くは“借金返済”を大前提とした、組織戦略や商品・サービスの見直し、配置(人財のポートフォリオ)と人事を含む諸制度の見直しの連続線でした。
でもでも!! 私に取って、すべてのビジネスの基本や、生きて行く心構えを教えてくれたのは、リクルート、、

景気が良くても、悪くても、マーケットを創る時も、撤退する時も、会社が好調な時も、不調な時も・・・そして時代が変わってもリクルートマン(及びOBと言う名の、まこと“華僑”軍団!)に共通するDNAは、
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ”(社是)

テンポの良い会話と、笑い声・・ “これって、きっと求められている商品だよね!” “このマーケットって押さえていないよね!” “その仕事って、うち(=リクルート)がやる価値あるのかなぁ!?” “面白いよね!”
・・・・時代が変わっても、この社是だけは忘れないで(変わらないで!)いて欲しいと思います。
 一人ひとりが、人生の主役で居て欲しいから、、