☆ナレッジ&ワークス社員旅行/下田に金目鯛食べに行きました

東海地方に続いて、入梅した東京(関東地方)・・・梅雨の合間の陽射しに誘われ、南伊豆へ小旅行を楽しんで来ました。

(↓鍋田海岸は下田から一番近く、小さな海岸。。白い砂浜とエメラルドグリーンの海は多々戸の浜へ続いて行きます  白浜や弓ヶ浜と言ったメジャー海岸に隠れ、鍋田、入田や田牛は地元の人気ビーチです)


(↑少し雲が広がって来ましたが、午後の鍋田海岸には人一人居ません)

下田の街は、年配の方々や小学生達の写生会で賑わっています。なまこ壁や幕末からの古い商家、南伊豆らしい草花が美しい街並が続き、お目当ての金目鯛や大イサギの刺身や煮付け、大粒サザエの壷焼きを看板にする食堂に、ついつい引っ掛ってしまいます・・・

(↓下田の初夏の街並み、 開港前は小さな漁村だったそうですが安政4年のハリス条約/下田条約後、急発展しました 筆者が学生の頃、夏の伊豆での夜中の“肝試し”はハリスの愛妾/唐人お吉が身投げをした“お吉が渕”までの往復と、バイクでの天城隋道越えでした・・・)



(↓金目鯛の煮付け+金目のシャブシャブ★★★

(↓不思議な飛騨高山の“合掌作り”の“讃岐うどんの店”を“伊豆下田”で発見!/左、    壁を伝って、満開の南国桜を見せる喫茶店も!/右)

クルマを再び、下田公園沿いに大浦海岸へハンドルを切り、大浦海岸から赤根島・爪木崎を望みます。

因みに、紀州和歌山と、南伊豆、そして南房総は「黒潮の流れ」の影響で、色々な共通点があります。 先ずは地名!「白浜」「勝浦」「洲ノ崎(須崎)」等の同じ地名の漁師町が存在する事、そして「ビシマ釣り」「かもし釣り」等の漁法は、この地域のみ共通の漁法であり、釣った魚の食べ方も同じ!また醤油が和歌山から千葉(銚子)に伝えられ事は有名です。 巷、『紀州の漁師が、南伊豆や南房総に立ち寄って伝えた』とも言われていますし、『紀州の漁師の乗り組んだ舟が難破し、黒潮に乗って南伊豆や南房総に辿り着き、土着した、、』とも、実(まこと)しやか言い伝えられています。 言語学的にも共通の方言が存在する事から、人的交流が活発だった事は事実のようです。
(↓難破船は昔の事…大型の漁船が下田港に入港します  ↓東日本の最南端、、この先は東京都伊豆諸島!紀州からの難破船乗組み員達は、この地で何を想い“白浜”と言う地名を付けたのでしょうか・・・)

(↓夕暮れ時の、鍋田浜入り口の磯、、海の中の灯篭には暗くなると蝋燭の火が灯ります)

(↓南国情緒たっぷりのソテツの樹・・・須崎を望みます  海はベタ凪、、夕まづめの釣のオンタイム!)

 このBlogでも何度がお伝えしているように、小さい頃から海に親しみ 今でも時間があればバイクに跨ったり、クルマを飛ばして海に出掛けます。釣も素潜りも、潮干狩りや簾立て遊びも大好き!(注:ちなみにサーフィンは見るだけです… …スキューバダイビングは、真鶴の海で一度溺れ やめました・・・、、、)
何と言っても第二の故郷である、西伊豆(=戸田)の海が一番好きですが、九十九里・外房の海 そして南伊豆の海も違った味わいのある“海辺”です。

出来る事ならば、60歳で仕事は引退し、
南伊豆の鍋田浜のような小さな浜辺で、朝方に自ら手漕ぎ船を出し、自分で釣った魚を捌き 気の合った仲間達に食べてもらえる、小さな「釣り人料理のお店」を開く事が出来たら、最高です。。。地の魚や旬の野菜、地酒と温めの温泉で歓待でき、明日の釣の餌代くらいの“心づけ”を頂ければ良し!  、、、、     あ〜ぁ・・・いつになったら、そんな生活、、実現するやら。。

 そして、帰路はガラガラの135号線を東に向かい、網代の「干物街道」で金目鯛と地着きの鯵、烏賊とキビナゴの干物をいっぱい買いました。
(↓干物街道で天日干しの地物の鯵と金目鯛烏賊の丸干しや、知らない魚の骨センベイも製作中)


金目鯛の干物は、一人で一枚食すには多過ぎ・・・酒の肴としても、白いご飯のおかずとしても片身で十分です(あの魚、食べ過ぎると気持ち悪くなるの、、知っています!?? 深海魚は独特のクセがありますよ!)

 帰路、熱海手前の錦ヶ浦で休憩をし西湘バイパス、鎌倉・朝比奈の切り通し経由で横横〜首都高で帰りました。
(↓錦ヶ浦より、初島を望む、、、熱海城の“秘宝館”は時間的に寄れなかった・・・)

充実した初夏の旅でしたが、早く「引退」したくなってしまった一日でした。・。・。・